だんなの退院
先週の土曜日、だんなが退院した。
日帰りで新潟の病院まで迎えに行った。
入院期間はちょうど20日間。
その間、私は東京と新潟を4往復した。
だんなが入院したのは、先月25日。
越後湯沢秋桜ハーフマラソンに、夫婦揃って、参加した後のことだった。
レース終盤、だんなはふらつきを感じ、残り3㎞を歩いたり走ったりして、何とかフィニッシュした。
その後、だんな自ら車を運転し、立ち寄り温泉に向かい、入浴。
もともとその日のうちに東京に戻る予定だったが、だんなのふらつきが治りそうもなかったので、その場で私がスマホから近くのホテルを予約。
もう一泊し、だんなの回復を待ってから、翌日東京に帰ることにした。
その後、遅い昼食を食べ、ホテルに戻り、1時間ほどの仮眠を取った。
だんなの様子が急におかしくなったのは、仮眠から目覚めた後。
ひどいめまいで平衡感覚が保てず、歩行困難な状態に陥った。
ホテルの方にお願いし、車で、近くで一番大きい病院に連れて行ってもらった。
当初、医師は、熱中症を疑い、点滴をした。
しかし、症状は悪化の一途をたどり、喉の麻痺という熱中症とは関係のない症状が出ていることを不審に思った医師が、隣町の基幹病院へ救急搬送することにしたのだ。
救急搬送された病院でMRIを撮ったところ、延髄に生じた脳梗塞が見付かった。
延髄梗塞、別名ワレンべルグ症候群だ。
緊急救命室に運ばれただんなは、本当に苦しそうだった。
自分の唾も飲み込めず、視界はめまいでグルグルと回っている状態。
実際、だんなの黒目は自分の意志とは裏腹に、クルクルと回っていた。
入院した翌日、担当医師から聞いたところによると、気温が高い中走って脱水症状になった状態で、負荷のかかった運動を継続したのが、延髄梗塞を発症した理由という。
ハーフマラソンで頑張っただけなのに、こんな状態になってしまって・・・
ベッドの上で苦しむだんなを見て、かわいそうで仕方がなかった。
医師からは症状がかなり重いと聞いていたので、重度の後遺症が残ることを覚悟した。
この先、だんなが社会復帰するのは難しいかもしれない、と暗澹たる気持ちになった。
この時ほど、自分が仕事を辞めたことを後悔したことはなかった。
禁飲食の状態が5日ぐらい続いた。
「江戸時代だったら、絶対に死んでたな」
腕に刺さる点滴を見ながら、ベッドの上で、そうだんなが呟いたのが印象的だった。
めまいは比較的早い段階でなくなったものの、物が二重に見える複視の状態が続いていた。
入院して1週間を経過した辺りから、だんなは日に日に回復していった。
まずは、複視が治り、目のピントがちゃんと合うようになった。
顔半分に温感障害が残ったものの、普通に会話が出来るし、手足も問題なく動く。
飲み込みが難しい状態は続いていたが、ゼリーもしくはペースト状の食事が徐々に出来るようになり、退院する数日前からは通常食を食べることが出来るようになった。
だんなの回復ぶりをみて、人間の回復力ってすごいと思ったが、医師には、「年齢があと10歳上だったら、ここまで回復しなかったかもしれません」と言われた。
今日、だんなは、通常通り、出社した。
同僚からは、「病気をしたようには見えない」と言われたそうだ。
実は、「病気をしたようには見えない」ということを、私は危惧している。
明らかに、だんなが病み上がりに見えるのであれば、仕事の量及び内容等、職場でもそれなりの配慮をしてくれるだろう。
しかも、だんな本人に、自分は病み上がりだという自覚がない。
だんなの調子が良さそうだったので、昨日、私は山梨県で開催されたランイベントに参加したのだが、その帰り道、だんなから「軽く走ってます」というメールが来て、胸が潰れるような思いだった。
再発を防ぐためにも、私としては、だんなには、自らの体に爆弾を抱えていることをしっかりと自覚してもらいたいと思っている。
やはり、私にとっては、大切な人だから。
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第6回失業認定~ハローワークからの卒業
今日は第6回目の失業認定日で、ハローワークへ行った。
今回が最後なので、記念撮影。
失業保険の手続きを行うエリアに行って、ビックリ。
人が溢れかえっており、順番待ちするための椅子が全て埋まっていた。
立っている人も多数。
こんな光景、ハローワークに通い始めて初めて見た気がする。
前回の認定日(9月15日)から昨日までの間に2回求職活動実績が必要だったが、下記で条件をクリアした。
-
中核人材確保支援センターでの職業相談
- 東京しごとセンターでのカウンセリング
前回の認定日では、職員の方に東京しごとセンターでカウンセリングを受けた実績の証明を求められたが、今回は証明を求められることはなかった。
恐らく、今回は、失業認定に訪れた人が多数いたため、職員の方も対応にいっぱいいっぱいで、細かな確認作業を行う余裕がなかったのではないか?
15分ほど待って名前を呼ばれたが、職員の方からは、「今回で失業保険の給付は最後になりますが、雇用保険受給資格者証の有効期間は1年なので、これからもハローワークをご利用いただけます」と、説明があった。
今回で、失業保険の支給は最後。
就職する気もないのに、求職活動実績を作らなければいけないというジレンマから解放されて、気持ち的にスッキリした一方、来月から失業保険が入って来なくなるのは、やはり淋しい。
失業保険支給最後の今月は、支給日数が22日と少なかったため、金額もちょっぴり少な目。
それでも、リタイア後の生活費の足しにはなると思うので、ありがたい。
来月からは、失業保険というお小遣いがなくなってしまう。
それなのに、先月末からだんなが地方の病院という、想定外の出費が痛い。
幸いなことに、明後日、10月15日に今入院している病院を退院し、以降は都内の病院に通院で治療することに なったので、今後は想定外の出費は減ってくれるものと思われる。
やはり健康が第一。
それが、家計の節約にも繋がる。
しかし、それよりも何よりも、一番大切な人が徐々にでも元気になってくれていることが、今はうれしい。
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リオオリンピックパレード2016
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックのメダリストのパレードを日本橋で見た。
日本橋に到着したのが、パレード開始の1時間半前。
沿道最前列は、既にほぼ埋まっていた。
私は、その1mほど後ろ、一段上に上がった歩道に陣取った。
そばにいた誰かが、「最前列だと近過ぎて写真が撮りにくいから、少し離れた一段上からの方がいいんだって」と話しているのを聞いて、ほくそ笑んだ。
パレードは、11時15分、銀座8丁目交差点からスタート。
上空を飛ぶヘリコプターを見ながら、パレードの近づき具合を確認。
私が見た限り、ヘリコプターは少なくとも5台はいた。
テレビでパレードの生中継を見ながら、入院中のだんながメールして来た。
事前に、沿道に100万人と報道されていたので(実際は、約80万人だった模様)、あまりの人出の多さにビビッて、出掛けようかどうしようか迷ったのだが、「テレビで見るよりも、絶対に、現地で見た方がいいよ」と言ったのは、だんなだった。
パレードが来るまで、何回かだんなとメールのやり取り。
パレード開始後は、近隣のオフィスの昼休みとも相まって、日本橋もどんどん人出が増えて行った。
11時20分ぐらい。
ヘリコプターの飛ぶ音はどんどん大きくなったが、日本橋にパレードの姿はなかなか現れない。
ようやく先導車が現れたのは、正午5分前だった。
大きな歓声の中、メダリストを乗せた最初のバスがやって来た。
左から、体操の加藤選手、田中選手、内村選手、そして、レスリング吉田沙保里選手。
思ったよりも選手との距離が近くて、興奮。
愛ちゃんは、沿道から、メダル獲得だけでなく、結婚にも「おめでとう!!」という祝福の嵐を浴びていた。
愛ちゃんの「ありがとうございました!」という声もよく聞こえた。
写真を撮りつつ、手を振りまくった。
カヌーの羽根田選手。
実物は、テレビでいるよりも、もっとイケメンだった。
しかし、カメラを向けた瞬間、何故か、後ろを向いてしまい、残念。。
ん?誰!?
パラリンピックのメダリストも。
一番右は、山下さん。
最後に来たのは、水泳の松田選手、そして、金メダリスト萩野選手。
だんなが入院して以来、私も精神的・肉体的にも結構キツい状態にあったが、今日のパレードを見て、少し希望が持てた気がする。
まだまだ乗り越えなければいけないこともあるけど、頑張らなくちゃ、と思わせてくれた今日のパレード。
やはり、テレビではなく、現地で見て、大正解だった。
残念だったのは、ベイカー茉秋選手を見付けられなかったこと。
私が陣取っていた方とは逆側にいたみたいだ。
4年後の東京オリンピックのメダリストパレードで、生茉秋を見れれば良いなぁ。
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青天のへきれき
久々のブログ更新。
まずは、今日病院で担当医から聞いた子宮体がんの検査結果の報告をしたいと思う。
結論から言うと、子宮体がんではなかった。
以下、担当医の診立て。
-
子宮内膜が分厚くなってしまっているが、特に治療は必要ではない
- 子宮筋腫は良性のもの。大きさも何年か前の11cmから7cm弱に小さくなっている
今後も定期的な観察を続けていきましょう、とのことだった。
まさに、めでたし、めでたしの結果。
前の記事で、検査結果を聞く時は、「本当に恐ろしいので、だんなにも同席してもらうことになっている」と書いた。
しかし、実際には、今日は一人で診察に臨んだ。
何故か?
だんなは、25日に新潟で開催されたハーフマラソン大会の後倒れ、現地の病院に入院しているからだ。
そのため、今週、私は新潟と東京を行き来するのが忙しく、ブログの更新どころではなかった。
今日の私の検査結果次第では、「夫婦共倒れ」の事態も想定された。
幸い、私の方は大きな問題はなかったため、最悪の事態を免れた。
入院した当日のだんなの様子を見て、もう社会復帰は難しいのではないか?と、暗澹たる気持ちになった。
しかし、あれから4日経って、驚くほどの勢いで、だんなは回復している。
現時点では、いつ病院から出れるのかもわからないし、社会復帰の時期も未定。
しかし、だんなが、日々、いい方向に向かっていることは確かだと思う。
やはり健康は宝物だ。
今回のアクシデントで、改めて痛感した。
これからは、もっと節制して、だんなと二人で末永く人生を楽しめるようにしないと。
もうひとつ、今回のことで、改めて家族のありがたさを感じた。
普段は離れて暮らしているが、やはりいざと言う時は頼りになる。
その一方、年老いた両親を、自分のことで心配させていることを心苦しく感じた。
だんなの状態がだいぶ落ち着いたので、週末は東京に戻って来れた。
また、週明け、だんなを見舞いに、新潟へ行くことにしている。
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病院とネイルサロン
今日の昼間、病院へ行って、MRI検査を受けた。
検査を受けるに当たり、マニキュアが不可となっていた。
ジェルネイル=マニキュアではないと思うが、念のため、一昨日ネイルサロンへ行き、ジェルネイルをオフしてもらった。
自爪を晒すのは、何年ぶり?
今回MRI検査を受けるのは初めてではなかった。
10年前、乳がんが発覚した時も、MRI検査を受けた。
なので、今日も特に心配することはなく、フツーに検査を受けて来た。
フツーでなかったとすれば、血圧を電子血圧計で測らなければならなかったのだが、血圧計が右腕にしか対応していないため、右側の胸とわきの下を手術している私は使うことが出来ず、看護師さんにマニュアルで対応してもらったこと、また、検査室の外で待っている間、中でMRI検査を受けていると思われるおばあさんの泣き叫ぶ声が聞こえて来たぐらいか?
検査後も、造影剤の副作用はなく、無事にうちに帰って来た。
帰宅後は、ネイルサロンへ。
何も付けていない自分の爪が何とも淋しいので、一刻も早くネイルしたいという気分だった。
今日のテーマは、「秋色の花柄」。
かわいい♪
50のばあさんになっても、やはりかわいいものはかわいいのだ。
今日のMRI検査の結果は、先週の生検の結果とともに、来週の金曜日の朝、担当医から聞く予定。
本当に恐ろしいので、だんなにも同席してもらうことになっている。
悪い結果でないことを願うばかり。
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あと10日
生検の結果を聞くまでの10日間は、
ひとりだけ違う時間軸に生きて、ゆっくりゆっくり皆とは違う暗闇に追いていかれるような感覚だった。
麻央さんが告知を受けるまでの心境を描いたものだが、まさに、今の私の心境を代弁してくれている。
今月23日にMRI。
1週間後の30日に、生検とMRIの結果を聞く。
子宮体がんの結果が出るまで、あと10日。
それまで、本当に長い。
10年前、乳がんの生検の結果を待っていた時も、やはり、今と同じように浮かない気持ちだった。
ただ、今と決定的に違うのは、だんなと旅行に出掛けていたこと。
ドイツでFIFAワールドカップが開催された時のことで、ふたりで、ドイツ各地を周遊し、フランスのアルザスにも足を延ばした。
悪い結果が出た時のことを考え、ひどく暗い気持ちにもなったが、体調が悪いという訳ではなく、旅行をキャンセルする理由は見当たらなかった。
逆に、悶々としながら、日々仕事をするよりは、非日常的な空間に出掛けた方が気分転換になるのではないかと考えたのだ。
確かに、旅行に出たことで、救われた気分になった。
サッカーのことはあまり詳しくはわからないものの、観戦した日本対クロアチア戦は大いに盛り上がったし、ミュンヘンの白ビール・白ソーセージ、ロマンチック街道のドライブ、朝食からワインが出たハイルブロンのホテル、アルザスのかわいい街並みやブドウ畑等々、気分を一時的に浮き立たせることは出来たと思う。
しかし、それでも、心の奥底は落ち込んだままだった。
10年前と違い、今は仕事をしていないので、昼間は家に一人でいる。
天気が良ければ、外を走りに行くのだろうが、今日は生憎の雨降りで、それも叶わず。
ますます憂鬱な気分になった。
過度に悲観的になってはいけないと思う。
かと言って、ポジティブでいられる要素は、残念ながら見当たらない。
と言うのは、乳がんの治療でホルモン療法を始める前に、「タモキシフェンの副作用として、子宮体がんになる可能性が2~4倍に増える」ということは予め聞かされていたからだ。
なので、「やっぱり」という、諦めに近い気持ちにもなっている。
今週末は、ハーフマラソン参加のため、新潟へ行く。
少しは、気分転換になるだろうか?
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第5回失業認定と東京しごとセンターカウンセリング
一昨日は5回目の失業認定日で、ハローワークへ行った。
前回の認定日(8月18日)から昨日までの間に2回求職活動実績が必要だったが、下記で条件をクリアした。
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中核人材確保支援センター(以下、「中核センター」)での職業相談
- 東京しごとセンター(以下、「しごとセンター」)でのカウンセリング
いずれも、前回の認定日当日に、立て続けに実績を作ったものだ。
いつものように、雇用保険受給資格者証と失業認定申告書を所定の箱に入れて、失業認定されるのを待っていたが、今回、初めて、職員の方から問い合わせのための呼び出しがかかった。
しごとセンターでカウンセリングを受けた証明を求められたのだ。
先月も、しごとセンターでのカウンセリングを求職実績に含めたが、特段、証明を求められることはなかった。
念のため、「しごとセンター利用確認書」を持参していたため、それを提示したところ、問題はなかった。
しかし、職員の方から、「ここに書いてくれればいいのにね」と言われ、驚いた。
「ここ」とは、雇用保険受給資格者証の裏面のことで、ハローワークや中核センターでの職業相談を受けた履歴が記載されるところである。
ハローワーク・中核センターとしごとセンターでは、管轄が違うということを職員の方はご存じなかったのだろうか?
前者は国、後者は都である。
都が管轄のしごとセンターが、国が管轄のハローワークが発行する雇用保険受給資格者証に勝手に何かを書き込むということがあり得るのだろうか?
ひょっとしたら、その職員の方は、しごとセンターのことを、ハローワークの外郭団体ぐらいに考えておられたのかもしれない。
その後、ハローワークと同じ建物の中にある、中核人材確保支援センター(以下、「中核センター」)で職業相談を受けた。
前月の失業認定日から、ハローワークではなく、中核センターで職業相談を受けるようになった。
ハローワークで職業相談を受ける都度、「5階(=中核センターのある階)には行かれましたか?」と言われるからだ。
一昨日は、職員の方にパソコンで求人検索をして頂き、2先ほど求人票をプリントアウトして頂いた。
そのうち一つは全くの専門外の仕事、もう一つは応募にあたり必要な資格をそもそも私が持っていない、という状況。
職員の方は、「ご参考までに」と、求人票のプリントアウトを手渡してくれたが・・・応募することは絶対にないだろう。
中核センターの後、ランチを挟み、東京しごとセンターへ向かった。
ちなみに、一昨日のランチは、↓。
先月同様、専任カウンセラーの方とカウンセリングの予約が入っていた。
カウンセリングと言っても、特段相談すべきことはなかった。
真面目に就職しようと言う気がないので、当然と言えば、当然。
カウンセラーの方には、先月は夏休みモードでほとんど活動せず、今月に入ってからは、つい先日病院の定期検診で異常が見付かり、検査の結果次第では、就職活動そのものを中断せざるを得ない状況にある旨、お話しした。
就職活動をする気はさらさらないのでウソをついたことになるが、検査の結果次第では、就職はもう難しいだろうことは事実だ。
乳がんが発覚した10年前は、病気の私をみんなで支えよう、という、とてもありがたい職場にいた。
それは、病気が発覚するまでの6年間、職場の上司・同僚と信頼関係が築けていたからに他ならない。
しかし、これから新たに職を探すとなると、最初からがんだとわかっている人間を誰が雇うだろうか?
まだ子宮体がんと確定した訳ではないが、もし検査結果が悪いものであった場合には、本人が望んでいるかどうかは別として、もう就職は難しいだろうと思う。
しごとセンターのカウンセラーの方には、具体的な病名を話すこともなく、また、当然のことながら、訊かれることもなかった。
カウンセラーの方には「まずは、就職活動よりも健康ですね」と優しい言葉を掛けて頂き、カウンセリングは10分で終了。
利用確認書を発行して頂き、しごとセンターを後にした。
次回の失業認定日は、来月13日。
私の理解に間違いがなければ、次回が最後になると思われる。
早いな。
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